京都一休寺酬恩庵の紅葉は観光の穴場
いっきゅうさんは、老若男女に馴染んだ人物ですね。
その一休さんが住んでいたお寺、京都一休寺 酬恩庵をご存知でしょうか?
とんちのクイズで有名ではありますが、実際の一休さんはまたちょっと違った人物のようです。
いっきゅうさんこと一休禅師は、波乱万丈の人生を送り
人生の後半の生涯をここ、一休寺 酬恩庵で過ごしたそうです。
生涯愛した女性、森女と愛情たっぷりの生活を送っていたのでしょうか。
一休さんは大徳寺へここから通っていたそうです。
興味深く良いお寺ですが、人が殆どいなくて勿体ない。。
他のお寺から離れているからでしょうか。
半日の時間をつくり、訪ねてみることをおススメ致します。
一休寺酬恩庵へのアクセス
近鉄「新田辺」駅から1.5km(徒歩25分、バスで10分、タクシーで約5分)
近鉄「新田辺」駅からバスの利用
新田辺駅西口バスロータリー4番乗り場から京阪バス66系統
JR「京田辺」駅から1km(徒歩20分、タクシーで約5分)
◆京都から電車でいき、最寄駅からタクシーでむかい、帰りはゆっくり歩いて帰ってくるのもおススメです。
酬恩庵 一休寺拝観案内
〒610-0341 京都府京田辺市薪里ノ内102
電話:0774-62-0193
受付時間 9:00~17:00 拝観時間 9:00〜17:00(宝物殿 9:30〜16:30)
拝観料 大人 500円(中学生以上) 小人 250円
一休寺酬恩庵とは?
昔の名前は一休寺ではなく、創設当時は妙勝寺
鎌倉時代、臨済宗の南浦紹明が中国で禅を学び、戻ってからの道場をここに建てたのが始めだそうです。
その後、元弘の戦火にやられてしまったところ
一休禅師が1455〜6年、堂宇を再興し、師恩にむくいる意味で「酬恩庵」としました。
禅師はここで後半の生涯を送り、81歳で大徳寺住職となった時も一休寺から「通勤」していたのだそうです。
徒歩でしょうから、どのくらいの時間がかかったのでしょうか。
一休さんが晩年を過ごされたことによりこの「一休寺」の通称が知られるようになりました。
一休禅師とは?
いっきゅうさんでお馴染みの一休禅師、室町時代を生きた臨済宗大徳寺派の禅僧です。
京都生まれで幼名は千菊丸。
後小松天皇あるいは足利義満の血を引くともいわれています。
6歳で京都の安国寺に入門し、周建の名前を授かりました。幼い頃より漢詩の才能を開花させ
『長門春草』を13歳のときに、15歳では『春衣宿花』を著していますが、
その後、さまざまな人生の紆余曲折を経て、1481年、88歳で病没。一休寺で静かに眠っています。
一休さんのお墓は、後小松天皇の皇子と言われているのでお墓は宮内庁の管轄であり
入ることができません。そして、菊の紋がありますね。
この先に本堂があります。
いました!
さいごに
ほかの神社仏閣から離れているためにお時間がたっぷりあるときにお勧めいたしますが
のんびりと一休さんの生涯を感じながら独占できます。
お天気の良い日に駅への道を味わいながら過ごすのもよいと思います。
私のお気に入りのお寺の一つです。
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