さきたま古墳(埼玉発祥の地)は前方後円墳の宝庫です
「さきたま古墳」をご存知ですか?
私は知らなかったのですが、なんでこんなに大きい古墳を今まで知らなかったのでしょうか!?と自分でも驚きます。
埼玉に住む古墳好きな友人に教えて貰いましたが、なぜ知らなかったのか?と思う程に大きい古墳群です。
みんな知ってました?
さきたま古墳とは
「さきたま古墳」の周辺は「埼玉」という地名が生まれたところなんですね。
今でも「埼玉県行田市埼玉」という住所があり、公園の傍には「埼玉」という名前の信号もあります。
奈良時代に編纂された『万葉集』に、「前玉(さきたま)」や「佐吉多万(さきたま)」などと地名を表記した和歌も
収められているそうですから、ずいぶん古くからの場所なのですね。
平安時代なると「埼玉」とか「佐伊太末」との表記が見られるそうです。
埼玉発祥の地、という碑もあります。
古墳群が公園になっていまして、お天気が良いとご家族ピクニック、シニアの運動など盛んなようです。
「さきたま古墳公園」には9つの古墳があります。
大きな古墳が集中して数多くあることで全国的に知られています(が、私は知らなかったけど)
今から1300年から1500年くらい前に建造された古墳が、大きなものだけでも9基もあります。
どういう人が葬られているのか、定かではないようですが
大昔武蔵の国に大きな勢力を持って支配していた人々なのは間違いないでしょう!
アクセス
アクセスとしては、JR行田駅、吹上駅、秩父鉄道の行田市駅などからバスで移動出来ます。
私は、秩父鉄道に乗りたかったので熊谷からローカルに乗換え行田市駅下車
そこからタクシーでむかいました。
10分で1200円程です。
まずは、タクシーに乗り、1番遠い将軍塚古墳 下車。
前方後円墳が見えました!
いきなりの感動です。
横から見ると前方後円墳だと良くわかります。
丸墓山古墳、日本で一番大きい円墳です。
何が見所かと言えば、1590年に石田三成が忍城を水攻めにした際に陣が張られた場所が、この古墳の頂上なのです。
現在、古墳に続く一段高い桜並木の路が、かつて「石田堤」と言われた水攻めの堤防跡です。
結果は三成の敗北となったのですが、この水攻めを忍城側から描いたのが『のぼうの城』です。
群雄割拠した戦国ロマンを、丸墓山古墳で味わえるでしょう。
眺めはいいですから、納得!
稲荷山古墳は
前方後円墳の真上を歩けるようになっています。
近年、穏やかな古墳ブームが訪れているようです。
さきたま古墳群は、
特に整備された古墳ですから、見やすく気軽に訪れることのできる古墳です。
勿論、古墳はお墓ですから、それなりの敬意とマナーは払わなければなりませんが、観光気分で古墳を巡るのも
いつもとは違った小さな旅になります。
さきたま古墳群ではイベントなども開催されていますので、それに合わせて行くのもいいですね。
さきたま古墳群のホームページはこちら → http://www.sakitama-muse.spec.ed.jp/
この記事へのコメントはこちら