京都大原 寂光院は建礼門院の終の棲家でした

 


初めて母と京都を旅した高校二年の秋。

何故に大原に行ったのか記憶はないのですが、
母とこの門の前で写真をとった記憶があります。

写真があるから、記憶があると感じるのかもしれません。

なんとも名前が寂しげで、せつなくて、また門からの階段の寂しげな雰囲気が
子供ながらに胸にしみた記憶がある、、ような気がするのです。

平清盛の娘、建礼門院が生涯を過ごしたお寺ですから
その歴史を知っても、寂光院という名前がとてもしっくりときます。
 

平清盛の娘、徳子が隠棲した寺ですが、
壇ノ浦の戦いで平家が滅んだとき、徳子は海に身を投げて助けられ、出家して建礼門院となりました。

その後、他の場所に移動しましたが、大震災にみまわれ
すぐに寂光院で住まうことになったのだそうです。

息子の安徳天皇と平家一門の冥福を祈りながら、静かに数年暮らしたと伝えられています

 

当初の本尊は、聖徳太子御作と伝えられる六万体地蔵尊でした。

しかし、平成12年(2000)5月9日未明に発生した放火により燃えてしまいました。

のち、財団法人美術院によって修復されて、境内奥の収蔵庫に安置されることとなりました。

 

高校生の頃にみたのは、もともとの古いものでしたが
今回は、新しく再建されたものでした。

仏像は、原色でしたが、仏像というものは、本来は原色だったものが
時を経て、色が剥がれ落ちていったものです。

見方によれば、もともとの原色はこうだったのか、と思ってみれば
いいわけですね。

 

閉院間際の駆け込みでしたが、そのおかげで
係りの女性にぎりぎりの時間まで、丁寧に寂光院の歴史や火災の時の様子をうかがうことが出来ました。

 

母親との大切な思い出の場所である、寂光院に
再びこれて、良かった、、、そんな大原の締めくくりとなりました。

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