限りある人生を丁寧に味わいながら、生きる。
五月晴れが続いています。
週末は、沼津で魚三昧とハイキングの予定でしたが
近い親戚が突然に他界してしまい、旅をキャンセルして
通夜告別式となりました。
突然のお別れとしては、余りに爽やかな日。
青く爽やかな空を眺めながら、これから、彼のお通夜か、、
と、現状と環境が折り合わない。
Facebookの友達であり、いとこ(主人の)との突然のお別れでした。
私との付き合いは、主人と結婚してからなのですが
共通の友人がいることから、私だけfacebook友達でした。
亡くなる当日までアクティブ投稿されてて
しかも、かなり力を入れて記事を書かれていたので
一冊目の書籍が好評だったこともあり
二冊目を出版される、その下書きの意味もあるのかと
考えておりました。
その投稿から、生きる気持ちを「奮い立たせている」ようでもありました。
私は同居の義理の両親看病介護をしてきたのですが
義母に「弱ってしまって自力で死ぬこともできないの。だから死ぬまでお世話してね」と言われたことがあります。
死にたい、すぐにも死にたい、だけどしねないの。
と。
でも、まだまだ明日も来週も来年も5年後もあると思い生きるつもりで過ごしている人が
突然人生を終えてしまうこともある。
これが、寿命というのでしょうか。
生きているということは、こういう事なのでしょうか。
人の人生の長さなんて分からないですね。
人には、命あるものにはすべて、限りがあります。
しかしながら、その「限り」がいつなのか
誰もわかりません。
毎日が人生の最後の日だと思って生きる、という人がいます。
そこまでの表現はしませんが
一日一日、その時の時間を
丁寧に丁寧に味わって生きる、
これが大切ではないでしょうか。
大切な人には大切だよ、
好きな人には大好きだよ、
と素直に伝えておきたい。
一瞬一瞬を大切に選択して
毎日を生きる。
突然逝ってしまった人だけれども
数年前に見送らなければならなかった息子と
今ごろ、次の世界で会えているのかもしれないとおもうと
残されたご家族は辛いけれども、もしかしたら、やっと会えたね、と、一緒にいるのかもしれないと思うと
少し、救われます。
しかし、息子とご主人をなくされた奥様については
もう、書き記すほどの心は持てませんが、、
生きている人は
前に進むしか、ないのですね。
そして、丁寧に、自分に素直に生きる、
これを大切にします。
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